「疲労」「疲労感」は別の現象

 ウサギ跳びなど筋肉を傷めつける激しい運動をした時は、筋肉が
ダメージを受けて筋細胞から逸脱した酵素、CSK(クレアチンホスキナーゼ)
やLDH(乳酸脱水素酵素)が増加します。

しかし、ゴルフや水泳では、疲労感は自覚するが、これらの酵素の上
昇は顕著ではありません。
つまり運動時の疲労と筋肉のダメージは必ずしも相関するわけではな
いのです。

 運動時や仕事中に最も疲れるのはどこか?
その答えは、実は「脳」そのものだったのです。

 神経細胞の塊である脳は大きく分けて、「大脳」「小脳」「脳幹」という
3つのブロックから構成されています。

 高次機能を司る大脳 は、仕事中、膨大な情報処理を行います。その
点で最も消耗の激しい部位であり、神経細胞がさび易い場所でもあり
ますが、ただ、大脳はそれぞれ役割分担があり、機能が局在化されて
いて、疲弊すると周囲の神経細胞が代わりに働いてくれるので、疲労
は分散されるのです。

 その点で、疲労を最も起こし易いのは、実は脳幹間脳という所に
ある、自律神経の中枢の「視床下部」と、左右大脳半球間の信号を伝
達する「前帯状回」と呼ばれる部位なのです。

 自律神経は、呼吸、消化吸収、血液循環、心拍数といった生体機能
を調整している神経で、人の臓器、皮膚、血管、汗腺などほとんど全て
の器官が関与を受けています。

 交感神経は体を活動的にする働きがあり、心拍数や血圧、体温を上
げ、血流を促し、消化吸収にブレーキをかけます。一方、副交感神経
体を休息させる働きがあり、心拍数や血圧、体温を下げ、血流をセーブ
して、消化吸収を促進します。

 このように交感神経と副交感神経がコンビを組むことによって、心拍数、
血圧、体温、呼吸といった生存に関わる機能を一定範囲内に保ち、体内
環境を安定的に維持するホメオスタシス(恒常性)が可能になっているの
です。

 運動や仕事などを長時間続けていると、生体機能を調整している自律
神経に疲労が蓄積するためホメオスタシスが働き、あたかも体が疲労し
たかのようなシグナルを出して作業をやめさせようとします。
それが、肉体的な疲労感として自覚されるのです。

 人は実際に疲労を起こしていても、それを感じるのは脳であるため、脳
の複雑な働きによって疲労感を覚えないことがあります。物理的疲労
程度と、主観的疲労感は一致しないことが多々あるのです。

  疲労を起こすのは、主に脳内にある自律神経の中枢であることは前述
↓したとおりです。そして、「疲労した」という情報を収集して「疲労感」として
自覚させるのは大脳の前頭葉にある「眼窩前頭野」という部位であること
がわかっています。

つまり、疲労が起こるのは主に自律神経の中枢(視床下部と前帯状回)、
その疲労を自覚するのは眼窩前頭野というわけで、それぞれ部位が異な
るのです。

 「過労死するのは人間だけ」という事実をご存じでしょうか?
問題になるのは、疲労感 生体アラームとして効かなくなり、疲れが積み
重なっているのにもかかわらずそれを感じなくなることです。

では、なぜ人は疲労感という生体アラームが効かなくなるのでしょうか。
それは、他の動物には観られないほどに発達した前頭葉が原因なのです。
前頭葉は、「意欲や達成感の中枢」と呼ばれ、人間の進化にも大きく貢献
してきました。

ただ、あまりにもその前頭葉が大きくなったために、眼窩前頭野で発した
疲労感というアラームを意欲や達成感で簡単に隠してしまうことがあるの
です。この現象を「疲労感のマスキング」と呼びます。

一方、前頭葉が小さい他の動物、例えばライオンは獲物を追いかける時、
どんなに空腹であっても疲労感を眼窩前頭野で自覚したらアラームに従っ
て追いかけるのをやめます。

前頭葉が発達していないヒト以外の動物では、意欲や達成感より疲労感
というアラームを優先して行動するのです。それ故、ヒト以外の動物では
過労死することはないというわけです。

また、「ランナーズ・ハイ」という現象も同じです。長い距離を走るトレーニ
ングや競技を続けているとき、あるポイントを超えるとそれまでの辛さが
消え、高揚感に変わる現象を言います。

その時に脳内では、エンドルフィンカンナビノイドといった物質が分泌
されます。これらの物質は、疲労感や痛みを消すために防御的に分泌さ
れ、その結果、多幸感や快感に似た感覚が引き起こされるのです。これ
疲労感のマスキング作用です。

疲労感がマスキングされたまま激しい運動を続けていると、脳にも、心臓
などの体の部位にも、疲労が蓄積します。エンドルフィンやカンナビノイド
は、脳内麻薬と言われるように、疲労感をマスクしますが、決して疲労を
軽減するものではありません。
その点でも、「ランナーズ・ハイ」の状態はたいへん危険といえます。

 疲労感のマスキングが脳疲労を蓄積させ、過労による重篤病気
の被害を増加させています。 
昇進や評価を得て達成感や充実感を覚えたとき、「実のところ、ここしばら
くは脳や体を酷使していなかったか、本当は疲れていないか。何らかの疲
れのサインは出ていないか」を自ら慎重に判断する必要があります。
                                                                                           次回に続く
                      
                     ”すべての疲労は脳が原因” より抜粋