「 あなた、だれ? 」「 ごはん、まだ 」は 忘れた わけでは ない
 認知症 症状 を 語る 際には、記憶 の 障害 ではない にも かかわらず " 忘れる ”
という 表現 が 非常に よく 使われ ます。
 
 自分 の 家 を 忘れた、子供 の 顔 を 忘れた、ご飯 を 食べた ことを 忘れた、や
かん を 火 にかけている ことを 忘れた など、実に 安易 に ” 忘れた ” が 使われ て
いること にも、認知 障害 である ことへの 理解 が 進ま ない 原因 が あると 考え
て います。

 自宅 で 何年 にもわたって 一生 懸命 お母さんを 介護 してきた ある 女性 は、
自分 の 顔 を 見た お母さん から「 失礼 ですけど、どちら 様 ですか 」と 聞かれ
て、ショック から 立ち 直れなく なって しまった と いい ます。
 この 様 な 家族 の 顔 が 分からなく なる、子ども である 自分 のことを 忘れて
しまった という 嘆き  の声 は、認知症 の 人 の 家族 から 大変 多く 聞き ます。

 目 の 前 に いる のが 人 である ことは 分かる。 けれども、それが 誰 だか 分
から ない。 これが「 あなた、どなた? 」の 質問 をする 認知症 の 人たち の
世界 です。

 この 言葉 が 出て くる のは 相手 を 忘れた からでは ありません。 「 その 人
と 自分 との 関係 が 正しく 認知 出来なく なって いる 」ことが 理由 なの です。

 そのため、相手 を 確認 しよう として、あるいは どう 対処 して いいか 分から
なくて、「 あなた、どなた? 」と 聞いて しまう のです。
 
 ◆「 時間 」の 認知 が 出来 ない から、自分 の 年齢 を 間違 える 
 実年齢 は 80 歳 なのに「 自分 は 60 歳 だ 」という 認知症 の 人 も います。 
若く見られ たい 気持ち が ある とか、冗談 で サバ を 読んで いる わけ では あり
ません。 本当 に 自分 は 60 歳 で あると 思って いる のです。

 こうした 現象 は「 時間 」の 認知 の 障害 から きて います。
 私たち は 時間 を「 流れ 」で 認知 して います。 時刻 は 時間 の 流れ を 証明
する 手段 に 過ぎ ません。 「 もう 2 時だ 」「 10  時 から 会議 を 始めて もう
すぐ 1 2 時 に なるから 2 時間 か 」など、時間 の 流れ を 確認 する のに 時刻 とい
う 手段 を 用いて いる だけ のこと で、時間 の 認知 とは「 時間 の 流れ の 認知 」
なの です。

 80 歳 なのに、自分 は 60 歳 で あると 思って いる のは、「 時間 の 流れ の 認
知 」から 言うと、時間 が 60 歳 で 止まって しまって いる という こと です。
 

食べた のに「 ごはん、まだ? 」は、物忘れ ではなく 時間 が 止まって いるから
 この 時間 認知 の 狂い は、認知症 の 人には よく 見受け られ ます。
 代表的 なの が「 ご飯、まだ? 」です。
 食事 した ばかり なのに、直後に「 ご飯、まだ? 」が 出て くる のは、ご飯 を
食べた ことを 忘れて いる わけでは なく、その 人 の 中 での 時間 が、食前 で 止
まって しまって いる ため
です。

 例えば 貴方 が、何かの 作業 に 何時間 も 没頭 したとき、あまりに 熱中 して い
て ご飯 を 食べたか どうか 覚えて いない という シチュエーション で、どの よう
な 言葉 が 出て くる でしょう か。 おそらくは「 あれ、ご飯 食べ たっけ? 」で
しょう。

 日本語 は 厳密 に 表現 を 使い 分ける 言語 です。 「 今日 は 暑い 」と「 今日
も 暑い 」では 意味 が 全く 変わり ます。
 食べたか どうか 覚えて いない 時に、日本語 で「 ご飯、まだ? 」は 決して 使
い ません。
「 ご飯、まだ? 」が 出てくる のは、食前 で 時間 が 止まって いて「 もう すぐ ご
飯 だ 」と 思って いる からに 他 なら ない のです。 自分 は そう思って いるのに、
一向 に ご飯 が 出て こない。 だから 繰り 返し、繰り 返し「 ご飯、まだ? 」 と
聞く のです。

 私 の 経験 した ケース では、食後 で 時間 が 止まって しまって いる 人 も いま
した。 この 様な 場合、ご飯 の 時間 になっても 部屋 から 食堂 に 降りて こず、
職員 が「 ご飯 ですよ 」と 声 を かけると、「 ええ? 」と 怪訝 な 顔 を 返して き
ます。 その 方 に とって、食事 は もう 済んだ ことに なって いる から です。

 認知症 について 書かれて いる どの 本 も、「 ご飯、まだ? 」に ついて、「 ご
飯 を 食べた ことを 忘れる 」から だと 書いて あります が、人間 の 時間 認知 の
様式 から すれば あり 得 ない こと。 大きな 間 違い と 言わざる を 得ません。

 人 が 居て、物 が あって、時間 が 流れて、場 という ものが 作られて います。
この 全部 を ひっくる めた もの が「 状況 」です。
「 認知 障害 」 は、「 状況 」を 構成 して いる、” 人・物・時間 の 流れ・場 ” を
正しく 捉え られなく なって いる 状態 です。

 人 に 対する 認知 障害、物 に 対する 認知 障害、時間 に 対する 認知 障害、場
に 対する 認知 障害 が 起きて おり、自分 は どう 振る 舞えば 良い かが 分からな
く なって いる。

 これが 認知症 という 病気 なの です。

 それを 踏まえて 認知症 を 考えて いかない から、「 貴方、どなた? 」も「 ご
飯、まだ? 」も、「 顔 を 忘れた 」「 食べた ことを 忘れた 」に なって しまう。

 こうした 間 違った 解釈 から、認知症 を 本当 に 治す ための 方法 が 出て くる
わけが あり ません。


  竹内孝仁 ” ボケの8割は「水・便・メシ・運動」で治る ” より